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はちみつぱいストーリー

この記事は、OUTSITEのはちみつぱいのページから移転したものです。OUTSITEの更新をしばらくやってないのでこちらで続けます。

http://outsite.cool.coocan.jp/spanishcastlemagic/hachimitsupie.htm

1970年

1 鈴木慶一、あがた森魚

はちみつぱいは、鈴木慶一とあがた森魚の出会いから始まります。出会う直前の2人の状況は次のようなものでした。鈴木慶一は、卒業を間近に控えた羽田高校の3年生でしたが、3学期になると、何をしたいのか何ができるのかということを考え続けながら、学校を休み家にこもる日々が続いていました。あがた森魚は、北海道函館市から上京していました。明治大学に入学し、劇団「現世代」で演劇活動を行っていました。1969年の暮れに、URCレコードの事務所で、ディレクターの早川義夫に直に歌を聴いてもらっています。片方がひび割れた厚い近眼のメガネをかけ、あがりながら何度も歌い直し、早川に強い印象を与えています。ちなみに、同じ部屋の奥でカレーを食べていた中川五郎と細野晴臣は怪訝な表情を見せたそうです。早川から1970年1月14日の「IFC前夜祭」(都市センターホール。共演者:中川五郎、遠藤賢司、ヴァレンタインブルー(はっぴいえんどの前のバンド名)、斉藤哲夫など)への出演を求められ、初ステージを踏みました。このような中で、2人が出会うことになります。あがたは、蒲田の野村証券で黒板書きのバイトをしていましたが、休み時間にはギターを弾いて歌っていました。その会社に慶一の母親が勤めており、家にこもっている息子にあがたを紹介しようとします。慶一は、母親からあがたが出演する「るねっさんす・冬祭り」というコンサートのチラシを渡され、行くか行くまいか散々迷いながらも、2月28日、会場のお茶の水全電通ホールに向かいます。誰があがたなのか分かりませんでしたが、興味が湧き連絡を取りました。3月に、あがたが羽田にある慶一の自宅を訪ね、そこから付き合いが始まります。慶一は、自宅の目印として「マザーズ・オブ・インヴェンションのフリーク・アウトをフルヴォリュームでかけてますから、その家へお入り下さい」と伝え、ドノヴァンが着ていた魔法使いみたいな自作のパジャマで出迎えました。あがたは急にギターを弾いて歌い出し慶一を面食らわせましたが、また会うことにしました。慶一は、あがたに連れられて街に出始めました。4月18日に、御苑スタジオで、岡林信康のレコーディングではっぴいえんどをバックに仮歌を歌う早川を見て感激しています。

2 アンク・サアカス結成、山本浩美、山本明夫

アンクサアカス

  • あがた森魚(ボーカル、ギター)
  • 鈴木慶一(ギター)
  • 山本浩美(ギター)
  • 山本明夫(ベース)

はちみつぱいの原点となる「アンク・サアカス」というバンドが結成されます。このバンドは、5月3日、「ホスピタル21」(代々木区民会館。共演者:遠藤賢司、若林純夫など)というジャックスファンクラブ主催のコンサートに出演します。1曲だけ元ジャックスの木田高介がドラムスで参加しています。「ハッティキャロルの淋しい死」と「漆黒の雨」を演奏しました。山本浩美と山本明夫は、慶一の羽田高校時代の友人です。特に山本浩美はちみつぱいの代表曲である「煙草路地」、「月夜のドライヴ」の作者で、鈴木博文とオリジナル・ムーンライダーズを結成するなど重要な人物です。

3 斉藤哲夫、渡辺勝  

5月29日に、慶一は、あがたを通じて斉藤哲夫とそのバッキングの渡辺勝と出会います。斉藤哲夫は、既に、1970年2月にシングル「悩み多き者よ」(URC)でデビューしていました。彼は、明治学院大学の学生で、あがたは早川から紹介されています。はちみつぱいとムーンライダーズのメンバーは、渡辺勝、鈴木慶一、武川雅寛、岡田徹、白井良明と斉藤哲夫のバッキング経験者から成り立っていると言えるほど関連の強い人です。彼は、よく慶一の家を練習場所にしていました。渡辺勝は、その「悩み多き者よ」のレコーディングにピアノで参加しています。また、岡林信康のバックバンド「グループQ」のメンバーでした。1970年6月に発売された岡林の「見るまえに跳べ/岡林信康アルバム第2集」(URC)のレコーディングとツアーにも加わっています。彼は、立教大学の学生で、同大学の作詞作曲研究会「OPUS」の会長をやっており、武川雅寛、岡田徹、白井良明が在籍します。

4 あがた精神病院、あがた癲狂院、小野太郎、小坂陽子  

あがた精神病院、あがた癲狂院

  • あがた森魚(ボーカル、ギター)
  • 鈴木慶一(ギター)
  • 山本浩美(ギター)
  • 山本明夫(ベース)
  • 小野太郎(ドラムス)
  • 小坂陽子(ピアノ)

その後、バンドは、小野太郎、小坂陽子などが加わり、「あがた精神病院」、「あがた癲狂院」などと名乗ります。この頃のレパートリーには「土手の向こうに」が既にあり、あがたが歌っていました。小野太郎と小坂陽子は、あがたの友人です。小野太郎は、本業が役者です。作・演出の山崎哲率いる劇団「つんぼさじき」の看板役者となります。

5 蓄音盤  

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7月2日~8月1日に、あがたの自主制作アルバム「蓄音盤」がレコーディングされます。鈴木慶一(ギター、ピアノ)、小野太郎(ドラムス)、小坂陽子(タンバリン)、渡辺勝(ギター、ベース、ピアノ)、細野晴臣(ベース)、斉藤哲夫(アドバイス)、前島邦昭(ディレクト)、石塚幸一(テューニングディレクト)などが参加します。販売の連絡先は慶一の自宅でした。

6 はっぴいえんど  

はっぴいえんど

  • 大瀧詠一(ボーカル、ギター)
  • 鈴木茂(ギター)
  • 鈴木慶一(ギター)
  • 細野晴臣(ベース)
  • 松本隆(ドラムス)

「蓄音盤」のレコーディングに当たり、あがたと慶一は、細野晴臣にベースを頼むため、彼の白金にある自宅を訪ねます。そのつながりで、慶一は、細野から誘われ9月16日の「日本語のろっくとふぉーくのコンサート」(日比谷野外音楽堂)で、はっぴいえんどのサイドギターを担当します。本人は正式メンバーになったものと思いましたが、この1回きりでした。慶一が好きなバンドにCCRを挙げたことが原因だったというエピソードが紹介されています。このことで、慶一は元はっぴいえんどと紹介されるようになります。

7 蜂蜜麺麭  

蜂蜜麺麭

  • あがた森魚(ボーカル、ギター)
  • 鈴木慶一(ギター)
  • 山本浩美(ギター)
  • 山本明夫(ベース)
  • 小野太郎(ドラムス)

秋に、バンドは、「はちみつぱい」となります。この名は、あがたがビートルズの「ハニーパイ」からつけたもので、「蜂蜜麺麭」と漢字で表記していました。あがたは、自分で納得の行く歌ばかりを作ると、はちみつぱいが「あがた森魚一色」になってしまうと考え、ソロ活動に進んで行きます。また、はちみつぱいのメンバーは流動的でした。

8 サアカス社  

冬に、あがた森魚(団長)、斉藤哲夫(座長)、鈴木慶一、中村文一らにより「サアカス社」という集団が作られます。後には、レコード会社みたいなものにしようとしていました。斉藤哲夫が1971年3月13日宇都宮「五つの赤い風船」のコンサートで知り合った野沢享司をその第1弾と考えていました。しかし、赤字が続き、後にあがたが有名になり散り散りになります。そのサアカス社の企画で「斉藤哲夫・あがた森魚サアカス」というシリ-ズのコンサートが開かれます。第2回は12月27日新宿柏ホール、第3回は1971年5月5日東急文化会館りとる・ぷれいはうす、第4回は1971年7月24日全電通ホールでした。また、1971年には渋谷のロック喫茶「BYG」で「地下室のサアカス」が月に1回開かれます。

9 されど私の人生  

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11月28日に、慶一は、斉藤哲夫のシングル「されど私の人生」(URC)でプロとしての初レコーディングを経験しています。担当は、ピアノとギターでした。

10 鈴木博文、藤井盛夫  

蜂蜜麺麭

  • 鈴木慶一(ボーカル、ギター)
  • 鈴木博文(笛、パーカッション)     
  • 藤井盛夫(ピアノ)

12月27日、「第2回斉藤哲夫・あがた森魚サアカス」(新宿柏ホール)に出演したはちみつぱいは、慶一、鈴木博文、藤井盛夫という編成でした。鈴木博文は、慶一の弟で、1971年9月にはちみつぱいのメンバーが固定するまでは、笛やパーカッションで何度か参加していました。後にベースを習得し、オリジナル・ムーンライダーズ、ムーンライダーズのメンバーになります。藤井盛夫は、鈴木博文の同級生です。

1971年

1 ほうむめいど、本多信介

ほうむめいど

  • 松本裕(ドラムス)
  • 本多信介(ギター)
  • 天川広二(ベース)
  • 伊藤克巳(キーボード)
  • 鈴木慶一(ギター、ボーカル、ピアノ)

2月頃、慶一は、松本裕(松本隆の弟)から、彼のバンド「ほうむめいど」に誘われます。音楽性は満足できませんでしたが、メンバー探しのために加入しました。このバンドで、慶一は本多信介と出会います。慶一がほうむめいどに在籍中は、はちみつぱいは休業状態でした。

2 BYG開店、風都市  

4月28日に、渋谷にロック喫茶「BYG」が開店します。地下がライブスペースになっており、その出演者のブッキングを風都市が行います。風都市は、はっぴいえんどのマネージャーの石浦信三が中心となった集団で、石塚幸一、前島邦昭、上村律夫がメンバーです。風都市は、それまでにつきあいのあった歌い手やバンドにどんどんBYGに出演してもらうことにしました。その誘いで、サアカス社は、月に1回「地下室のサアカス」を開きます。慶一は、ほうむめいどとしてもBYGに出演します。BYGはライブスペースを1972年2月頃まで提供していきます。

3 武川雅寛、岡田徹  

慶一は、BYGでの活動を通してセッションを行い、武川雅寛、岡田徹と交流を深めます。武川雅寛は、渡辺が慶一に紹介しました。彼は、立教大学の学生(渡辺の1期下)で、渡辺と同じく作詞作曲研究会「OPUS」のメンバーです。そのOPUSのバンドでBYGに出演します。彼は、ロック、フォーク界には珍しいヴァイオリンプレイヤーで、ヴァイオリンは小1から中学の途中まで習っていました。OPUSでは渡辺や斉藤哲夫と一緒にギターやベースをやっていましたが、弾けることからヴァイオリンを担当するようになりました。慶一からの第一印象はメチャクチャうまいということで、あがたはヴァイオリンが好きだったことから出会いをとても喜びました。 岡田徹も立教大学の学生(渡辺と同期)で、「OPUS」のメンバーです。「観覧車」というバンドでBYGに出演していました。

4 はちみつぱい再編、中村文一  

蜂蜜ぱい

  • 鈴木慶一(ボーカル、ギター)
  • 渡辺勝(ボーカル、ギター)
  • 本多信介(ギター)
  • 中村文一(ベース)

6月頃に、はちみつぱいが再編されます。8月7日~9日に開催される「71年全日本フォークジャンボリー」のサブステージの企画を風都市が担当し、BYGの出演者が出演することになったことがきっかけになっています。本多は、ほうむめいどから引き抜きました。中村も元・ほうむめいどです。ドラマーは、オーディションにより探していきますが、なかなか決まらず繰り返し行うことになります。岡田徹によると、OPUSのメンバーがオーディションを受けて「うますぎる」というよくわからない理由で落とされたと言っています。バンドの表記は、この頃は「蜂蜜ぱい」になりますが、次第に「はちみつぱい」が使われる方が多くなります。ちなみに、ほうむめいどは、松本裕(ドラムス)、鈴木順(ギター)、大塚修司(ベース)、伊藤克巳(キーボード)というメンバーで1972年頃まで続きました。

5 全日本フォークジャンボリー出演、和田博巳  

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フォークジャンボリーには、鈴木慶一、渡辺勝、本多信介の3人にサポートの鈴木博文(トレーナークラリネット、パーカッション)の編成で出演しました。単独の演奏と、あがた、斉藤哲夫のバッキングを行っています。中村文一は、当日欠席しました。当初のサポートは武川雅寛の予定でしたが、都合がつきませんでした。単独では、「煙草路地」、「しゅろの木の下で」、「こうもりの飛ぶ頃」を披露しています。「煙草路地」と「しゅろの木の下で」はアコースティックギター3本による演奏ですが、「こうもりの飛ぶ頃」はエレキギター3本のみによる凄まじい演奏になっています。その単独演奏の途中で、ギターにトラブルが発生し、和田博巳がギターを貸します。彼は、北海道から上京し3年間浪人した後、親に大学にやったと思って金を出してくれと頼み、1970年に高円寺に「ムーヴィン」という喫茶店を開きました。当初はジャズ喫茶でしたがロック喫茶へと変わっていき、通称「ムーヴィン村」といわれる一群が形成されていきました。ダッチャがウェイターをし、大阪のフォークの連中が顔を出し、シバや友部正人が演奏をしました。慶一とは岡林信康のアルバム「俺らいちぬけた」(URC 1971年8月1日発売)のレコーディングで知り合っています。

6 あがた森魚のデビュー決定  

フォークジャンボリーで演奏したあがたの「赤色エレジー」が、10月10日発売の「自然と文化の72時間1971年全日本フォークジャンボリー実況盤」(キング)に収録されます。そして、あがたは、新しく作られるベルウッドレコードからデビューの誘いがあり、「はちみつぱいと一緒に」と返事をします。こうしてプロとしての転機を迎えていきます。

7 うた絵本赤色エレジー  

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南部菜食バンド

  • あがた森魚(ボーカル、ギター)
  • 鈴木慶一(ピアノ)
  • 鈴木博文(トレーナークラリネット)
  • 武川雅寛(ヴァイオリン)
  • 小野太郎(ドラムス)

12月25日に林静一・あがた森魚「うた絵本赤色エレジー」(製作:芽璃懺堂、発売:幻燈社)が発売されます。慶一、渡辺、武川、朽風太郎(鈴木博文)、池田光夫、小野太郎、森澄真理などが参加しています。「赤色エレジー」の演奏は、南部菜食バンドが演奏しています。あがたのアルバム「乙女の儚夢」にも登場していますが、この編成ではないようです。

8 はちみつぱいの本格的スタート、カシブチ哲郎  

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蜂蜜ぱい

  • 鈴木慶一(ボーカル、ギター、ピアノ)
  • 渡辺勝(ボーカル、ギター、ピアノ)
  • 本多信介(ギター)   
  • 和田博巳(ベース)
  • 武川雅寛(ボーカル、ヴァイオリン)   
  • カシブチ哲郎(ドラムス)

中村文一は、8月まで在籍しました。9月に和田博巳、武川雅寛、カシブチ哲郎が加入します。この6人編成ではちみつぱいが本格的にスタートしたといえます。和田博巳は、71年全日本フォークジャンボリーの演奏に感激し、自ら加入を希望します。それまで、ベースに触ったことはありませんでしたが、メンバーになった次の日にベースを買いにいきました。武川雅寛は、今までの経緯で、はちみつぱいへの加入を求められます。カシブチ哲郎は、高校の同級生だった野沢亨司からはちみつぱいのオーディションの情報を聞き受けようと思います。それまで、渋谷のフォーク喫茶「青い森」で弾き語りをしていた経験がありました。それで、はちみつぱいのライブを「ジァンジァン」に見に行き、3人編成でフォークっぽかったが、「こうもりの飛ぶ頃」もやる変なバンドという印象を持ちました。オーディションのとき、本人はキーボードかギターで入るつもりだったので、歌を聴いてほしいとギターの弾き語りを始めました。ドラマーのオーディションであることを伝えると、その経験があったのでオーディションを兼ねたステージに参加しました。その結果、シンプルな演奏で曲も作れ性格がおとなしいことなどから加入することになりました。はちみつぱいにとっては、やっと決まったドラマーです。この頃、風都市の石塚幸一が、あがたとはちみつぱいのマネージャーになります。はちみつぱいは、石塚幸一とともに9月~10月はBYGで練習を続け、10~11月に学園祭などに出演し本格的に活動を始めます。

9 共同生活  

秋から、慶一、武川、和田とマー坊という女の子が、和田が四谷3丁目に借りたアパートに住むようになります。武川は実家が鎌倉で遠い、マー坊は秋田から出てきた、慶一は自活したがっていたからですが、慶一は、腹が減ると家に帰ってメシをたべていたとのことです。一方、渡辺は、この年から作家の青野聡から借りた吉祥寺の一軒家に住むようになります。様々な人達が泊まったりセッションしたりなど出入りし、その中から、アーリータイムス・ストリングス・バンドが生まれていきます。

10 赤色エレジーのレコーディング  

12月に、ベルウッドレコードから出すことになった「赤色エレジー」をあがたとはちみつぱいでレコーディングしますが、石塚幸一が「もっとちゃんとしたレコーディングをしなきゃだめだ」と言い、年明けにレコーディングし直しています。

1972年

1 赤色エレジーの大ヒット  

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4月25日にあがた森魚+蜂蜜ぱい「赤色エレジー」(ベルウッド)が発売され、夏ごろ大ヒットします。はちみつぱいは、あがたのツアーやテレビなどのバッキングで忙しくなります。また、様々なアーティストのレコーディングやライブのメンバーとしての参加も増えていきます。1人の参加の時は「1ぱい」、2人の参加の時は「2ぱい」などと呼ばれていました。特に、武川のヴァイオリンは求められます。和田、慶一、武川の四谷3丁目でのアパート生活は、およそ半年でピリオドを打ちます。家主の和田も狭山に引っ越し、最後は慶一と女の子7人くらいが残りましたが、結局女の子に乗っ取られた形になり慶一も出て行きます。それが、ちょうどこの「赤色エレジー」のヒットの時期に重なっています。

2 春一番出演

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春一番は、毎年5月に大阪天王寺野外音楽堂で開催されるフェスティバル形式のコンサートです。1972年は第2回で、5月6日と7日に開かれました。はちみつぱいは、あがた森魚、はっぴいえんど、小坂忠&フォージョーハーフ、乱魔堂、吉田美奈子という風都市所属のメンバーとともに、5月5日の深夜12時に新宿西口からバスで向かいました。5月6日の部に出演し、「こうもりの飛ぶ頃」、「土手の向こうに」、「塀の上で」、「煙草路地」を演奏しました。このうち、「塀の上で」が1972年8月5日発売の「春一番コンサート・ライブ」(ベルウッド)に、4曲全てが1972年7月発売の風都市の自主制作盤「春一番」に収録されます。当日は、あがた森魚のバッキングを勤めるほか、武川が遠藤賢司などをサポートします。

3 シングル発売の予定

はちみつぱいは、7月5日にベルウッドからシングル「A面 煙草路地/B面 貧乏ダンス」を出すことになりましたが、8月25日に延期され、結局発表されませんでした。「煙草路地」は山本浩美作詞作曲のはちみつぱいの代表曲です。「貧乏ダンス」は慶一の新曲だったようです(「ラム亭のママ」の原曲でした)。

4 乙女の儚夢

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はちみつぱいは、1972年7月25日発売のあがたのアルバム「乙女の儚夢」(ベルウッド)に参加します。

5 渡辺勝脱退  

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蜂蜜ぱい

  • 鈴木慶一(ボーカル、ギター、ピアノ)
  • 本多信介(ギター)   
  • 和田博巳(ベース)
  • 武川雅寛(ボーカル、ヴァイオリン)   
  • カシブチ哲郎(ドラムス)

8月に、楽曲を作りボーカルを担当するなど重要な位置にいた渡辺勝がアーリータイムス・ストリングス・バンドの結成のため脱退します。たいした理由はないが、いつも同じことをやっているのに飽きたということです。武川のボーカルの比重を大きくしながら5人編成として活動します。

6 アーリータイムス・ストリングス・バンド  

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アーリータイムス・ストリングス・バンド

  • 村上律(バンジョー、スティールギター)
  • 渡辺勝(ギター、キーボード)
  • 松田幸一(ベース、ハーモニカ)
  • 高橋至(ドラムス)
  • 竹田裕美子(キーボード)
  • 今井忍(ギター、ベース)

渡辺は、1971年頃から作家の青野聡に借りた吉祥寺の一軒家に住んでいました。アーリータイムス・ストリングス・バンドは、そこに集まってきた人達により結成されました。メンバーは、村上律、渡辺勝、松田幸一、高橋至、竹田裕美子、今井忍です。村上律は元・アップルパミス、アテンションプリーズ、律とイサト、松田幸一は元・ロックキャンディーズ、グループ愚で、竹田裕美子は渡辺の立教大学の後輩です。結成当初は、村瀬雅美(ベース)、白石助平(ドラムス)、猪川オサミ(サックス)なども在籍していました。1973年7月21日にシングル盤「鐘の鳴る丘待ちぼうけ」(CBSソニー)を発表しています。しかし、1973年末に解散し、村上律と松田幸一は徳武弘文、岡田徹、河合徹三とラストショウを、渡辺、今井忍、竹田裕美子はキリギリスを結成します。

1973年

1 駒沢裕城加入  

蜂蜜ぱい

  • 鈴木慶一(ボーカル、ギター、ピアノ)
  • 本多信介(ギター)   
  • 和田博巳(ベース)
  • 武川雅寛(ボーカル、ヴァイオリン)   
  • カシブチ哲郎(ドラムス)
  • 駒沢裕城(スティールギター)

元・小坂忠&フォージョーハーフの駒沢裕城が加入し、再び6人編成になります。彼は、ロック、フォーク界の代表的なスティールギタリストです。スティールギターは大学に入った1969年夏から始めたということですが、その音色、フレーズは印象的です。小坂忠&フォージョーハーフは、小坂忠(ボーカル、ギター)、駒沢裕城(スティールギター)、後藤次利(ベース)、林立夫(ドラムス)、松任谷正隆(ピアノ)の編成で、1972年1月に結成し、その年末に解散しています。駒沢は、このバンドに加入前には、はっぴえんどの「風街ろまん」にも参加しています。フォージョーハーフでのシスティマティックな音楽からルーズな音楽を求めて、和田からの誘いで、はちみつぱい加入します。彼は、狭山の和田の家に同居していました。駒沢の加入で、はちみつぱいの音楽は幅が大きく広がります。彼はサウンド作りにも貢献し、慶一が構想を提示して駒沢がディティールを決めていくというやり方になっていきます。

2 オリジナル・ムーンライダーズ  

ムーンライダーズ#1

  • 山本浩美(ボーカル、ギター)
  • 鈴木順(ギター)
  • 鈴木博文(ベース)
  • 松本裕(ドラムス)

ムーンライダーズ#2

  • 山本浩美(ボーカル、ギター)
  • 鈴木順(ギター)
  • 鈴木博文(ベース)
  • 松本隆(ドラムス)
  • 矢野誠(キーボード)

ムーンライダーズ#3

  • 山本浩美(ボーカル、ギター)
  • 鈴木順(ギター)
  • 鈴木博文(ベース)
  • 土井正二郎(ドラムス)

はちみつぱいの元メンバーに動きがあります。元はちみつぱいの山本浩美、鈴木博文と元ほうむめいどの松本裕、鈴木順で「ムーンライダーズ」が結成されます。バンド名は、鈴木慶一が稲垣足穂の「一千一秒物語」から選んだものです。はちみつぱいの後身のムーンライダーズと区別するためオリジナル・ムーンライダーズと呼ばれています。その後、ドラムスが松本隆に変わり、矢野誠がキーボードで加入します。1973年9月21日、はっぴいえんどの解散コンサート「CITY‐Last Time Around」(文京公会堂)には、この5人編成で参加しました。しかし、松本隆と矢野誠は既にプロの作詞家やアレンジャーとして活躍しており、メンバーとして活動できず脱退し、代わりに土井正二郎(ドラムス)が加入しますが、鈴木順の就職などにより解散しました。

3 他のバンドとの兼任  

はちみつぱいのメンバーが他のバンドと兼任するようになります。

(1)山本コウタローと少年探偵団

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山本コウタローと少年探偵団

  • 山本コウタロー(ボーカル、ギター)
  • 若林純夫(ギター)
  • 徳武弘文(ギター)
  • 和田博巳(ベース)
  • カシブチ哲郎(ドラムス)
  • 岡田徹(ピアノ)

6月から、和田とカシブチが「山本コウタローと少年探偵団」に参加します。メンバーは、山本コウタロー、若林純夫、徳武弘文、和田博巳、カシブチ哲郎、岡田徹です。1974年に、山本が離れ「山本コウタローとウイークエンド」を結成し、少年探偵団は小宮やすゆう(ボーカル、ギター)を加え6人で活動します。CBSソニーから「雪の月光写真師」を発表する予定がありました。鈴木博文が一時期在籍したこともあります。

(2) ココナッツバンク  

ココナッツバンク

  • 伊藤銀次(ボーカル、ギター)
  • 駒沢裕城(スティールギター)
  • 藤本雄志(ベース)
  • 上原裕(ドラムス)

駒沢が「ココナッツバンク」に参加します。メンバーは、伊藤銀次、駒沢裕城、藤本雄志、上原裕です。このバンドは、「ごまのはえ」が大滝詠一プロデュースのもと、名称を変更しメンバーチェンジを重ね、この編成に落ち着いたものです。「CITY‐Last Time Around」に出演しましたが、その翌日に解散しました。

4 アルバム「センチメンタル通り」発売  

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10月25日に、ファーストアルバム「センチメンタル通り」をベルウッドから発表します。レコーディングの前に、新宿西口のヤマハのスタジオで100時間以上リハーサルをしました。帯に書かれたキャッチコピーは、『日本ロック&ポップス界にはばたくか汚れた天使達!?衝撃のデビューアルバム「センチメンタル通り」遂に完成!!』でした。 このアルバムを期に解散という噂もあったようです。

Side‐1  

  1. 塀の上で(作詞・作曲:鈴木慶一)
  2. 土手の向こうに(作詞・作曲:鈴木慶一)
  3. ぼくの倖せ(作詞:松本圭司、作曲:渡辺勝)
  4. 薬屋さん(作詞・作曲:鈴木慶一)

Side‐2

  1. 釣り糸(作詞・作曲:かしぶち哲郎)
  2. ヒッチハイク(作曲:本多信介)
  3. 月夜のドライヴ(作詞:山本浩美・(補)鈴木慶一、作曲:山本浩美・(補)鈴木博文)
  4. センチメンタル通り(作詞・作曲:鈴木慶一)
  5. 夜は静か通り静か(作詞・作曲:渡辺勝)

クレジット

  • 鈴木慶一:ボーカル、バッキングボーカル、ピアノ、ビブラフォン
  • 武川雅寛:バッキングボーカル、フィドル、トランペット、マウスハープ、フラットマンドリン
  • 駒沢裕城:バッキングボーカル、スティールギター、ドブロ、アコースティックギター、エレキギター
  • 本多信介:プラトニックギター、「おやすみなさい」
  • 和田博巳:エレキベース
  • カシブチ哲郎:ボーカル、ドラムス、ピアノ、ハモンドオルガン、ビブラフォン
  • 流浪の勝(オールドタイムス・ブラス・バンド):ボーカル、バッキングボーカル、ピアノ、エレキピアノ、アコースティックギター、ハモンドオルガン
  • 山本浩美(ムーンライダーズ・オブ・パープル・ソーセイジ):ボーカル、バッキングボーカル
  • 坂田明:アルトサックス
  • Produced by 蜂蜜ぱいwith石塚幸一 For KING BELLWOOD RECORDS
  • Directed by 天野近、三浦光紀
  • Engineer:佐賀次郎
  • Re-mix Engineer:佐賀次郎
  • Recorded at ALFA STUDIO,HIT STUDIO
  • Photograghy:井出譲二
  • Art Direction:石塚幸一、蜂蜜ぱい
  • Management:WIND CORPORATION  

「流浪の勝」は渡辺勝のことで、あがたのアルバム「乙女の儚夢」で「さすらいのカツ」と紹介されていることにあやかっているのでしょう。また、山本浩美とともに在籍バンドをもじって表記しています。「オールドタイムス・ブラス・バンド」は、アーリータイムス・ストリングス・バンドの反対語で、「ムーンライダーズ・オブ・パープル・ソーセイジ」は、ムーンライダーズをニュー・ライダーズ・オブ・パープル・セイジに引っ掛けています。ジャケットには、はちみつぱいの他にあがた(警官役)と山本浩美が写っています。このアルバムには、アウトテイクとしてカシブチ哲郎がボーカルの「ぼくの倖せ」があります。これは、「THE BEST OF BELLWOOD」(ベルウッド。1990年9月21日)で聴けます。

5 岡田徹加入  

はちみつぱい

  • 鈴木慶一(ボーカル、ギター、ピアノ)
  • 本多信介(ギター)   
  • 和田博巳(ベース)
  • 武川雅寛(ボーカル、ヴァイオリン)   
  • カシブチ哲郎(ドラムス)
  • 駒沢裕城(スティールギター)   
  • 岡田徹(ピアノ)

「センチメンタル通り」を制作後の9月に、岡田徹がピアノで加入し、はちみつぱいは7人編成になります。  岡田徹は、「センチメンタル通り」のレコーディングを毎日のように見に来ていました。和田の誘いで「山本コウタローと少年探偵団」に参加していましたが、はちみつぱいと合同練習をしている時に、慶一からはちみつぱいへの加入を求められます。慶一は、歌う方に身を入れたいという理由からだったようです。岡田は、BYGに出演している頃からのはちみつぱいのファンで、一番好きなバンドに入れたととても嬉しかったようです。岡田の加入は、はちみつぱいにとって大きなことででした。サウンドが変わり、また、駒沢とともに構成力があったのでメンバー全員でステージ構成を考えるようになりました。それまでは、形態の緩さで意味のあった大所帯のバンドが、多くの楽器を出来る人がたくさんいる「ぜいたくなバンド」としての意味を持つようになりました。そして、エンターテイメント性を意識するようになります。ステージで慶一が前に出て、ハイヒールスニーカーにホットパンツなどの衣装を着用するようになります。

6 駒沢裕城ココナッツバンクに移籍?   

駒沢は、1974年2月にはちみつぱいを抜けココナッツバンクに移ることになっているという雑誌記事があります。実際にはこのようにはなりませんでしたが、移籍の話はどうだったのでしょうか?

1974年

1 噫無情  

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はちみつぱいは、3月25日発売のあがたのアルバム「噫無情」(ベルウッド)に参加します。

2 風都市閉鎖  

春に、はちみつぱいとあがた森魚の所属事務所「風都市」が閉鎖されます。風都市所属のアーティストは、トリオレコードでショーボートレーベルの制作責任者だった松下典聖が作ったIBSが一義的に引き受けることになります。はちみつぱいのマネジメントは、石塚幸一がIBSに間借りする形で行います。あがたは9月1日に渡辺プロに移籍します。

3 ワーナーパイオニアに移籍、シングル「君と旅行鞄」発売  

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はちみつぱいは、ベルウッドからワーナーパイオニアに移籍します。ワーナーパイオニアからシングル候補として「ぼくの倖せ」を求められ、はちみつぱいが希望した「酔いどれダンス・ミュージック」は売れないといわれB面になりました。しかし、慶一は「ぼくの倖せ」をそのままやるのは嫌だと、松本隆に作詞を依頼しますが気に入らず、自分で詞を書き直しタイトルを「君と旅行鞄」にし、6月25日にリリースされます。このレコーディングのエンジニアは大瀧詠一が担当しています。君と旅行鞄は、渋谷の有線放送では上位にランクインします。

4 芸能界の仕事  

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セカンドアルバムの制作も念頭に置くようになります。当時のライブ演奏を聴くとポップさ、楽しさを増し、まさに乗りに乗っていますが、一方で生活のために芸能界の仕事もやるようになります。8月にアグネスチャンのバックバンドを担当し、9月に松尾和子のショーし出演します。そこにメンバー間で意識の違いが生じたようです。

アグネス・チャンショー 

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  • 8月27日~29日(日本劇場)
  • 他の出演者:植田芳暁、団五郎、ビトー&コンソレーション、ストリング・ファンタジック・オーケストラ

せんちめんたる浅草 松尾和子 芸能生活15周年記念

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  • 9月11日~17日(国際劇場)
  • 他の出演者:あがた森魚、猫(11~14日)、なぎらけんいちと葛飾区かんけり仲間(15日~17日)、ザ・キング・トーンズ、早野凡平(11~15日、17日)、せんちめんたるクインテット、深田浩一とゴールデンゲート、松竹歌劇団

5 駒沢裕城脱退  

10月に、駒沢裕城が小笠原諸島へ行ってしまいます。業界的仕事などに落ち込んだということです。駒沢が脱退し、はちみつぱいは大きく揺らぎます。サウンドも確立し、営業的にも期待でき、前途も明るいと思っていた矢先のことでした。完成されたサウンドがスティールギターが抜けることで崩れ、それだけでなく、バンドとしてのタガが外れ、いろいろ不平不満が出るようになります。

6 椎名和夫加入  

はちみつぱい

  • 鈴木慶一(ボーカル、ギター、ピアノ)
  • 本多信介(ギター)   
  • 和田博巳(ベース)
  • 武川雅寛(ボーカル、ヴァイオリン)   
  • カシブチ哲郎(ドラムス)
  • 岡田徹(ピアノ)
  • 椎名和夫(ヴァイオリン)

椎名和夫が加入します。彼は、本多信介の友人で、はちみつぱい、吉田美奈子、南佳孝らの音楽仲間でした。はちみつぱいのライブでは、武川とのダブルヴァイオリンが披露されます。

7 はちみつぱい解散  

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しかし、マネージャーの個人的事情なども重なり、結局、11月20日の「さきどりコンサート」(山野ホール。共演者:なぎらけんいち、いとうたかお、友川かずき)で、はちみつぱいは解散しました。「塀の上で」の途中で、慶一が「さよなら、ロックンロール少年、ロックンロール少女」とお別れをいいます。駒沢は、2か月ぐらい後に小笠原で、友達から解散の話を聞き泣いたということです。

解散後

(1)ムーンライダーズ

ムーンライダーズ#1

  • 鈴木慶一
  • 武川雅寛
  • 椎名和夫
  • 鈴木博文
  • かしぶち哲郎
  • 岡田徹

ムーンライダーズ#2

  • 鈴木慶一
  • 武川雅寛
  • 椎名和夫
  • 鈴木博文
  • かしぶち哲郎
  • 岡田徹
  • 土井正二郎

ムーンライダーズ#3

  • 鈴木慶一
  • 武川雅寛
  • 椎名和夫
  • 鈴木博文
  • かしぶち哲郎
  • 岡田徹

ムーンライダーズ#4

  • 鈴木慶一
  • 武川雅寛
  • 白井良明
  • 鈴木博文
  • かしぶち哲郎
  • 岡田徹

鈴木慶一、武川雅寛、椎名和夫、鈴木博文、かしぶち哲郎、岡田徹によって結成されたムーンライダーズは、はちみつぱいを「音楽で生活すること」を明確にして仕切り直したものだと思います。最初の仕事が、1975年2月から始まったアグネス・チャンのツアーのバックバンドです。しかし、同年8月からのアグネス・チャンのツアーには、かしぶちは参加せず、土井正二郎が加わります。かしぶちは、細野晴臣のバックバンド「トロピカル・ダンディーズ」や久保田麻琴と夕焼け楽団に参加しながら、ムーンライダーズ単体の活動のときは復帰するという変則的なバンド形態をとっていました。この7人編成の時代にレコーディングしたのが、1976年1月25日に「鈴木慶一とムーンライダース」名義で発表したアルバム「火の玉ボーイ」です。収録曲は、はちみつぱいのレパートリーと、新作が半々になっています。演奏には、ムーンライダーズだけでなく、ティンパンアレー、ラストショウなどが参加したもので、慶一のソロアルバムなわけですが、一般にムーンライダーズのファーストアルバムと捉えられています。メトロトロンレコードから再発されたときは「鈴木慶一」名義に直されていました。ムーンライダーズは、当初は、はちみつぱいの音楽性やレパートリーを引き継いでいましたが、イギリスのプログレに傾き、白井良明が加入し、パンク、ニューウエイブの影響をもろに受け、変化を続けていきます。

(2)渡辺勝

「アーリー・タイムス・ストリングス・バンド」は1973年に解散します。メンバーだった竹田裕美子、今井忍とともに1974年に「キリギリス」を結成しますがこれも解散になります。しかし、竹田裕美子、今井忍との音楽活動は続きます。1976年にビクターからソロ・デビューし、1977年に今井忍、村松邦男(元・シュガーベイブ)らとクルーを結成します。1997年にはアーリータイムス・ストリングス・バンドが再結成され活動が継続されています。

(3)本多信介

1975年に「本多信介とダックスフンド」を結成します。映画やテレビの音楽にも活動の幅を広げ、特に「おいしんぼ倶楽部」(フジテレビ)や「新・諸国漫遊記」(フジテレビ)が有名です。

(4)和田博巳

解散後、札幌で「和田珈琲店」、「バナナボート」という喫茶店を開きます。バンド活動にも取り組みます。1978年に「スパニッシュ・ムーン」を、1979年に「QUOTATIONS」を結成します。1984年に鈴木慶一の水族館レーベルからリリースされたオムニバス「陽気な若き博物館員たち」にQUOTATIONSの曲が収録されます。同年、和田はバンドを脱退し、東京に移り、細野晴臣やあがた森魚のマネージャーを担当します。その後、音楽事務所を作り、ヒックスヴィルなどが所属しました。札幌に戻り「Tutti」というバーを開く傍ら、オーディオ評論家となり、東京に拠点を移しています。

1988年

1 はちみつぱいSECOND ALBUM(in Concert)

1988年5月25日に、「はちみつぱいSECOND ALBUM(in Concert)」(SOLID)が発売されます。1972年~1974年のライブ音源を構成して制作されたものです。

2 再結成コンサート「はちみつぱい 15 YEARS AFTER」

はちみつぱい

  • 鈴木慶一(ボーカル、ギター、ピアノ)
  • 渡辺勝(ボーカル、ギター、ピアノ)
  • 武川雅寛(ボーカル、ヴァイオリン)
  • 本多信介(ギター)
  • 駒沢裕城(スティールギター)
  • かしぶち哲郎(ドラムス)
  • 和田博巳(ベース)

このアルバムの発売をきっかけに、1988年6月9日に汐留PITで再結成コンサート「はちみつぱい 15 YEARS AFTER」が開かれました。和田はプレイヤーとしてはかなり遠ざかっていました。ゲストは、あがた森魚、山本浩美、 斉藤哲夫、白井良明(斉藤哲夫のバッキング)、高田渡です。圧巻は、土手の向こうに~こうもりの飛ぶ頃~ダーク・スターという長い曲の連続演奏です。特に後2曲ではルーズなインプロヴィゼイションが十分に堪能できます。音源が「9th June 1988 はちみつぱいLive」(JAPAN。1989年5月25日)に、映像が「はちみつぱいラストライヴ」(東芝EMI。1992年5月20日)に収録されました。

2003年

山本浩美逝去

オリジナルメンバーの山本浩美が逝去しました。1982年には美尾洋乃たちと「トリックスター」を結成しました。

2004年

石塚幸一逝去

はちみつぱいのマネージャーだった風都市の石塚幸一が逝去しました。

2009年

1 あがた森魚とZipang Boyz號の一夜~惑星漂流60周年 in 東京~

あがた森魚とZipang Boyz號

  • あがた森魚(ボーカル)
  • 鈴木慶一(ギター、ピアノ)
  • 渡辺勝(ギター、ピアノ)
  • 武川雅寛(ヴァイオリン)
  • 本多信介(ギター)
  • 駒沢裕城(スティールギター)
  • かしぶち哲郎(ドラムス)
  • 和田博巳(ベース)

あがた森魚の還暦を記念して、2008年に釧路から沖縄まで全国約70箇所のツアー「惑星漂流60周年!」が行われました。そのファイナルが、2月22日、東京九段会館「あがた森魚とZipang Boyz號の一夜~惑星漂流60周年 in 東京~」です。はちみつぱいの元メンバーが集いましたが、パンフレットには、「今宵『Zipang Boyz號』には『は●み〓は。い』は乗號しません」とあります。「あがた森魚のやってきた音楽と『は●み〓は。い』いや『はちみつぱい』とは、原点では切り離せないものと思っているから・・・・・・。今回の『Zipang Boyz號の一夜』も、あがた森魚と『はちみつぱい』だけでシークレットでやる『蜂蜜會』みたいな『秘密結集会』を、できたら渋谷のBYGとか、豊島公会堂とか、御嶽の登山電車の山麓駅みたいなところで、やってみたい・・・・・・とおもっていたからね。でも、実質『は●み〓は。い』は、1988年の汐留駅跡地でのライヴを最後に、実質消滅したことになっている「まぼろしのバンド」でもあるからね。あがた森魚は、この惑星漂流60周年にあたって、やはり、ひとつの貴重な原点である『はちみつぱい』との『再会』を望まないわけはない。かつて、ライヴでそうであったように、あがたが歌い『はちみつぱい』も歌い演奏する。それを、実現したかったわけだ。では、今宵ここには『は●み〓は。い』いや『はちみつぱい』は結集するのか?鈴木慶一、かしぶち哲郎、本多信介、和田博巳、武川雅寛、渡辺勝、岡田徹・・・・・・かつて『はちみつぱい』に集った面々は、今宵ここに結集するのか?するともいえる、しないともいえる。しかし、ひとつ、はっきりしているのは、この一夜は、あがた森魚と『はちみつぱい』の一夜ではなく、まさにここにつかのまに集った『Zipang Boyz號』の乗號者たちの一夜なのだということだ」。

2 THE FINAL TAPES はちみつぱいLIVE BOX 1972-1974

10月21日にはちみつぱいの完全未発表ライブBOXがリリースされました。9枚組CD+60頁ブックレット豪華化粧箱入りです。なぜ「THE FINAL TAPES」かというと、「はちみつぱい」の最後のリリースになるからのようです。小川真一の8月27日のmixiの日記「最後のはちみつぱい」によると、“はちみつぱいプロジェクト”が始まったのは約2年前の夏だそうです。それから紆余曲折があり、未発表ライヴ音源が揃いだしたのが昨年の秋で、そこからまた波瀾万丈があり、小川自身の試行錯誤に次ぐ試行錯誤などがあり、ファイナルの再始動が告知されフィニッシュしました。今回は、ブックレットの編集、取材、インタビュー、各ディスクの解説などなどに関わったそうです。特典は、写真家・井出情児撮影の「はちみつぱい1972-1973」です。ほとんど初出となる全252点を収めたディスクです。アルバム『センチメンタル通り』のフォトセッションを含んでいます。また、ディスクユニオンのオリジナル特典として、予約・購入の先着により「1973年(日時不明)渋谷ジァン・ジァン/全11曲」 のCDがあります。音質面で若干難点があり今回収録は見送られたものですが、マスタリングが行われました。

2013年

かしぶち哲郎逝去

かしぶち哲郎は、かねてより食道癌で闘病を続けてきましたが、 12月17日夜半に永眠しました。

2015年

再々結成

はちみつぱい

  • 鈴木慶一(ボーカル、ギター、ピアノ)
  • 渡辺勝(ボーカル、ギター、ピアノ)
  • 武川雅寛(ボーカル、ヴァイオリン)
  • 本多信介(ギター)
  • 駒沢裕城(スティールギター)
  • 橿渕太久磨(ドラムス)
  • 和田博巳(ベース)

12月20日「鈴木慶一ミュージシャン生活45周年記念ライブ」ではちみつぱいが再々結成されました。橿渕太久磨はかしぶち哲郎の遺児です。

2016年

はちみつぱい 45th ANNIVERSARY Re:Again

はちみつぱい

  • 鈴木慶一(ボーカル、ギター、ピアノ)
  • 渡辺勝(ボーカル、ギター、ピアノ)
  • 武川雅寛(ボーカル、ヴァイオリン、トランペット)
  • 本多信介(ボーカル、ギター)
  • 駒沢裕城(スティールギター)
  • 橿渕太久磨(ボーカル、ドラムス)
  • 和田博巳(ベース)
  • 岡田徹(キーボード)
  • 夏秋文尚(ドラムス)

この編成に岡田徹と夏秋文尚が加わり、結成45周年ライブ「はちみつぱい 45th ANNIVERSARY Re:Again」を開催しました。岡田はこれまではちみつぱい再結成には身を引いていましたが、やっと参加しました。4月15日渋谷B.Y.Gでの公開リハーサル「Back to the Basement at B.Y.G / Meet & Greet Party」を経て、5月9日Billboard Live OSAKA、5月15日Billboard Live TOKYOで行われました。その後、7月12日「Live at Psychedelic GARDEN」(下北沢GARDEN)、7月24日「フジロック」、9月3日「はちみつぱいとジム・オルーク」(渋谷WWW X)、10月28日「ボロフェスタ2016大前夜祭」(京都KBSホール)に出演しました。

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