ブルース・クリエイション系
ロックやフォークのファミリーツリーを辿ると、あるバンドから派生した複数のグループの間でメンバーが行き来する、外形からは一つのまとまりのように捉えられる一群が見られます。例えば、海外だとディープパープル系、カンタベリー系、フェアポートコンベンション系など、日本だとゴールデンカップス系やハルメンズ系、そしてブルース・クリエイション系でしょう。ここでは、そのブルース・クリエイション系について紹介します。
1 ビッキーズ
- 布谷文夫(ボーカル)
- 洪栄龍(ギター)
- 竹田和夫(ギター)
- 丸山(ベース)
- 小美戸(ドラムス)
ブルース・クリエイション系のルーツとなったのは、「ビッキーズ」というバンドです。グループサウンズの「ジャガーズ」のジュニアバンドで、渋谷のディスコ「グルーピー」の専属でした。レコード・デビューはできませんでしたが、1968年5月、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の「R&B天国」という番組で5週勝ち抜いた実績がありました。このバンドに、洪栄龍、布谷文夫、竹田和夫が在籍します。布谷は、1968年3月に加入しています。彼の友人の大瀧詠一が、よく飛び入りで「500マイル」をプレスリースタイルで歌うパフォーマンスを見せていました。洪は家業を継ぐため脱退し、1968年8月に後任として竹田和夫が加入します。彼は、布谷の知り合いの竹田ミミ子の弟で、まだ高校生でした。9月に、洪が音楽を忘れられないと復帰し、布谷文夫、洪栄龍、竹田和夫、丸山、小美戸の5人編成になります。この編成での写真が、黒沢進の「日本ロック紀GS編」に載っています。
2 ブルース・クリエイション
- 布谷文夫(ボーカル)
- 大沢博美(ボーカル)
- 竹田和夫(ギター)
- 野地義行(ギター→ベース)
- 篠崎淳(ベース)
- 田代信一(ドラムス)
- 志村守(オルガン)
- 上村律夫(オルガン)
- 山崎隆史(ベース)
- 佐伯正志(ベース)
- 樋口晶之(ドラムス)
- 松本繁(ベース)
- 内藤正美(ドラムス)
1969年1月1日に、ビッキーズは「ブルース・クリエイション」になります。ブルース・クリエイションは1972年春に解散するまで、日本のロック界において大活躍します。布谷文夫の在籍時は、大瀧詠一がビッキーズ時代より引き続いて「500マイル」の飛び入りを行います。大瀧は、「二人のブルース」という曲も提供しています。この曲は、その後、布谷の持ち歌となり、最終的に「深南部牛追唄」に改作されます。大瀧は、この頃はバンドのマネージャーと目されていました。ブルース・クリエイションの活動が充実していたのは、第8期の大沢博美、竹田和夫、佐伯正志、樋口晶之の時代だと思います。単独のアルバムの他にカルメン・マキとのコラボレーションのアルバムも出しています。大沢博美、野地義行は、竹田のアマチュア時代のバンド仲間です。
第1期(1969年)
- 布谷文夫(ボーカル)【元・ビッキーズ】
- 大沢博美(ボーカル)
- 竹田和夫(ギター))【元・ビッキーズ】
- 野地義行(ギター)
- 篠崎淳(ベース)→ブラインド・レモン・ジェファーソン、DEW、ツイン、末法、SKY
- 田代信一(ドラムス)
- 志村守(オルガン)
第2期(1969年)
- 布谷文夫(ボーカル)→DEW
- 竹田和夫(ギター)
- 野地義行(ベース)
- 田代信一(ドラムス)
第3期(1970年)
- 竹田和夫(ボーカル、ギター)
- 野地義行(ベース)
- 田代信一(ドラムス)
第4期(1970年)
- 竹田和夫(ボーカル、ギター)
- 野地義行(ベース)→パフ、はっぴいえんどのサポート、霧工場
- 田代信一(ドラムス)
- 上村律夫(オルガン)【元・ブラインド・レモン・ジェファーソン】
第5期(1970年)
- 竹田和夫(ボーカル、ギター)
- 山崎隆史(ベース)
- 田代信一(ドラムス)
- 上村律夫(オルガン)
第6期(1970年)
- 大沢博美(ボーカル)【元ブルース・クリエイション】
- 竹田和夫(ギター)
- 山崎隆史(ベース)→頭脳警察、乱魔堂、雪童子
- 田代信一(ドラムス)
- 上村律夫(オルガン)
第7期(1970年)
- 大沢博美(ボーカル)
- 竹田和夫(ギター)
- 佐伯正志(ベース)
- 田代信一(ドラムス)
第8期(1971年)
- 大沢博美(ボーカル)
- 竹田和夫(ギター)
- 佐伯正志(ベース)
- 樋口晶之(ドラムス)→カルメン・マキ&OZ、クリエイション
第9期(1972年)
- 大沢博美(ボーカル)→クリエイション
- 竹田和夫(ギター)→ブラッディ・サーカス、クリエイション
- 松本繁(ベース)→ブラッディ・サーカス、クリエイション
- 内藤正美(ドラムス)→ブラッディ・サーカス、カルメン・マキ&OZ
BLUES CREATION
1969年10月1日
POLYDOR
1 CHECKIN' ON MY BABY
2 STEPPIN' OUT
3 SMOKE STACK LIGHTNIN'
4 DOUBLE CROSSING TIME
5 I CAN'T KEEP FROM CRYING
6 SPOONFUL
7 ROLLIN' AND TUMBLIN'
8 ALL YOUR LOVE
悪魔と11人の子供達
1971年8月25日
DENON(日本コロムビア)
1 原爆落し
2 ミシシッピー・マウンテン・ブルース
3 ジャスト・アイ・ワズ・ボーン
4 悲しみ
5 ワン・サマー・デイ
6 脳天杭打ち
7 スーナー・オア・レイター
8 悪魔と11人の子供達
カルメン・マキ/ブルース・クリエイション
1971年9月
DENON(日本コロムビア)
1 アンダースタンド
2 アンド・ユー
3 ロード、アイ・キャント・ビー・ゴーイング・ノー・モア
4 空しい心
5 母のない子
6 今日を生きられない
7 ミーン・オールド・ブギー
8 セント・ジェイムス病院
白熱のブルース・クリエイション
1989年11月25日
URC(KITTY)
1 ROLLING STONE
2 悪い夢
3 DRINKIN' BLUES
4 悪魔と11人の子供達
5 UNDERSTAND(FEATURINGカルメン・マキ)
6 TOBBACO ROAD
*1971年8月7日 第3回全日本フォークジャンボリー
創世記
2005年2月23日
URC(avex)
1 悪魔と11人の子供達
2 DRINKING BLUES
3 悪い夢
4 ROLLING STONE
5 TOBBACO ROAD
6 ATOMIC BOMBS AWAY
7 BABY PLEASE DON'T GO
8 PRETTY SUE
*1970年8月15日 日比谷野外音楽堂(1~5)、1971年 中津川フォークジャンボリー(6、7)、1970年 渋谷ジァンジァン(8)
3 ブラッディ・サーカス
- 竹田和夫(ギター)
- 松本繁(ベース)
- 内藤正美(ドラムス)
ブルース・クリエイションの解散後、竹田和夫、松本繁、内藤正美(元DEW)により、1972年春に結成されたトリオです。メンバーでロンドンに行ったりもしましたが、短命に終わりました。帰国後、竹田と松本はクリエイションを結成し、内藤はカルメンマキ&OZに加入します。
4 クリエイション~クリエーション
- 大沢博美(ボーカル)
- 竹田和夫(ギター)
- 松本繁(ベース)
- 樋口晶之(ドラムス)
- 飯島義昭(ギター)
- フェリックス・パパラルディ(ベース)
- 山内テツ(ベース)
- 竹内まさひこ(ベース)
- 桜井久夫(キーボード)
- 包国充(サックス)
- アイ高野(ボーカル、パーカッション)
- ヒロ小川(ベース)
- 高木貴司(ドラムス)
- 裵天外(ドラムス)
- 安藤ジュン(キーボード)
ブラッディ・サーカスの解散後、竹田和夫は、大沢博美、松本繁、樋口晶之とともに、1972年7月に「クリエイション」を結成しました。ブルース・クリエイション時代以上に大活躍し、世界にも進出します。また、1973~1974年には、並行して「内田裕也&1815ロックンロールバンド」として活動しました。メンバー編成は、大きく見て3次に分かれます。竹田和夫、飯島義昭、松本繁、樋口晶之による第1次、竹田のソロ活動時のバンド「竹田和夫&ミッドナイト・ブルー」がそのまま移行した第2次、アイ高野(元・カーナビーツ、ゴールデンカップス)をボーカルに据えた第3次です。第3次からバンド名の表記を「クリエーション」に変えます。1984年に解散します。
第1次
1972年
- 大沢博美(ボーカル)【元・ブルース・クリエイション】→大沢博美&ミッドナイト・ムーヴァーズ
- 竹田和夫(ギター)【元・ブルース・クリエイション、ブラッディ・サーカス】
- 松本繁(ベース))【元・ブルース・クリエイション、ブラッディ・サーカス】
- 樋口晶之(ドラムス)【元・ブルース・クリエイション、カルメン・マキ&OZ】
1973年
- 竹田和夫(ボーカル、ギター)
- 飯島義昭(ギター)【元・イーヴル】
- 松本繁(ベース)
- 樋口晶之(ドラムス)
1976年
- 竹田和夫(ボーカル、ギター)
- 飯島義昭(ギター)
- 松本繁(ベース)
- 樋口晶之(ドラムス)
- フェリックス・パパラルディ(ベース、キーボード)【元・マウンテン】
1977年
- 竹田和夫(ボーカル、ギター)
- 飯島義昭(ギター)
- 山内テツ(ベース)【元・ミッキー・カーチス&サムライ、フリー、フェイセス】
- 樋口晶之(ドラムス)
第2次
1978年
- 竹田和夫(ボーカル、ギター)
- 竹内まさひこ(ベース)
- 樋口晶之(ドラムス)
- 桜井久夫(キーボード)【元・大沢博美&ミッドナイト・ムーヴァーズ】
- 包国充(サックス)
第3次
1981年
- アイ高野(ボーカル、パーカッション)【元・カーナビーツ、エディ潘グループ、ゴールデン・カップス、ミッキー吉野グループ、スーパースター】
- 竹田和夫(ギター)
- ヒロ小川(ベース)【元・大沢博美&ミッドナイト・ムーヴァーズ】
- 高木貴司(ドラムス)
- 裵天外(ドラムス)
- 安藤ジュン(キーボード)
5 大沢博美&ミッドナイト・ムーヴァーズ
- 大沢博美(ボーカル)
- 寺田由紀夫(ギター)
- 小川浩史(ベース)
- 板垣康典(ドラムス)
- 桜井久夫(キーボード)
大沢博美は、クリエイションを脱退後ロンドンに渡り、帰国後の1975年にこのバンドを結成しました。メンバーは、大沢博美、寺田由紀夫、小川浩史、板垣康典、桜井久夫にサックスとトランペットを一人ずつ加えた7人です。時折、竹田和夫がセッションに加わることもありました。小川と桜井は、クリエイションに加入します。
6 DEW
- 布谷文夫(ボーカル)
- 左右栄一(ギター)
- 洪栄龍(ギター)
- 篠崎淳(ベース)
- 告井延隆(ベース→キーボード)
- 尾口タケシ(ドラムス)
- 大野久雄(ギター)
- 松本恒男(ベース)
- 内藤正美(ドラムス)
布谷文夫は、1969年12月に、ブルース・クリエイションを脱退し、1970年1月に「DEW」を結成します。このバンドに、左右栄一、洪栄龍、篠崎淳、告井延隆が在籍します。左右栄一は初代リードギターでしたが数か月で頭脳警察に移籍し、その後ファーラウトに加入します。2代目リードギターが洪栄龍で、布谷文夫、洪栄龍、篠崎淳、尾口タケシ、告井延隆という編成で活動しました。その後、布谷文夫、大野久雄、松本恒男(元・頭脳警察)、内藤正美という編成になり、1971年12月に解散します。洪は乱魔堂、雪童子、スラッピー・ジョー、洪栄龍&ピーヴィー、洪栄龍&グローリー・バンドに、篠崎は再びブラインド・レモン・ジェファーソン、ジェシー・ジェイムス、ツイン、末法、SKYに、尾口はラストショウに、告井は乱魔堂とフライのサポート、センチメンタル・シティ・ロマンスに、内藤はブルース・クリエイション、ブラッディ・サーカス、カルメン・マキ&OZに、大野はフライ、ダディ・オー、コズミック・ララバイに、松本恒男は霧工場、ハルヲフォンに参加します。1990年に、「布谷文夫&DEW」として復活しています。
7 布谷文夫
布谷文夫は、DEWの解散後、ソロになります。1972年8月にシングル「からのベッドのブルース」でソロデビューし、1973年11月に大滝詠一、ココナッツ・バンクの協力を得てアルバム「悲しき夏バテ/布谷文夫Ⅰ」を発表します。1975年1月に音楽活動を停止しますが、1976年3月に「ナイアガラトライアングルVOL.1」の「ナイアガラ音頭」で再デビューします。その後、散発的に活動を行っています。
悲しき夏バテ/布谷文夫Ⅰ
1973年11月21日
POLYDOR
1 五番街
2 冷たい女
3 深南部牛追唄
4 夏バテ
5 颱風13号
6 ニューオリンズの町へ
7 ホーボー・ブルース
8 朝めがさめて
9 水たまり
DEW/布谷文夫
1989年11月25日
URC(KITTY)
1 からのベッドのブルース
2 傷ついて
3 夏は終り
4 フーチー・クーチー・マン・ブルーズ
5 二人のブルース
6 ぼくの天使
7 悲しき願い
LOST BLUES DAYS VOL.1
2001年3月15日
CAPTAIN TRIP
1 ニューオーリンズの町へ
2 FEELIN ALRIGHT
3 水たまり
4 MR. TAMBOURINE MAN
5 颱風13号
6 TOBACCO ROAD/DEW
7 HARD LUCK STORY/DEW
LOST BLUES DAYS VOL.2
2001年3月15日
CAPTAIN TRIP
1 空のベッドのブルース
2 上を向いて歩こう
3 COME ON (LET GOOD TIMES ROLL)
4 深南部牛追唄
5 二人のブルース
6 ナイアガラ音頭
7 GOOD GOLLY MISS MOLLY
8 夏バテ
立ち眩みLIVE
2001年9月14日
LOST PLANET
1 冷たい女
2 夏バテ
3 颱風
4 GLORIA
5 上を向いて歩こう
6 二人のブルース
7 達者でナ
8 深南部牛追唄
9 LET'S ONDO AGAIN
10 ELEANOR RIGBY
8 ブラインド・レモン・ジェファーソン~ジェシー・ジェイムス~ツイン
- 洪栄龍(ギター)
- 篠崎淳(ベース)
- 上村律夫(オルガン)
- 高野雅博(ボーカル)
- 今井尊(ドラム)
- 猿山幸夫
- 松吉久雄
- 戸塚憲吉(ギター、ボーカル)
- 高橋(ギター、ボーカル)
- 小林(ドラムス)
- 若生吉隆(ギター、ボーカル)
- 都築伸彦(ドラムス)
第一次
洪栄龍は、1969年4月に、篠崎淳、上村律夫、高野雅博、今井尊の5人で「ブラインド・レモン・ジェファーソン」を結成しました。バンド名はアメリカのブルースマンの名前に由来します。7月、8月には青森、秋田のゴーゴークラブに出演し、9月には新宿「アップル」を拠点に活動しましたが、同年までで解散しました。洪栄龍は、DEW、乱魔堂、雪童子、スラッピー・ジョー、洪栄龍&ピーヴィー、洪栄龍&グローリー・バンドに参加します。篠崎淳は、DEWを経て、第2次ブラインド・レモン・ジェファーソンに参加します。上村律夫は、ブルース・クリエイション、乱魔堂のマネージャー兼強化メンバー、風都市のスタッフを経て、ムーンライダーズ・オフィスの社長になります。
第二次
1970年に、ブラインド・レモン・ジェファーソンは、第2次編成により復活し、猿山幸夫、松吉久雄が在籍します。1971年に、その2人は、洪栄龍とともに乱魔堂を結成します。1972年には、戸塚憲吉、高橋、篠崎淳、小林という編成で活動を続けていました。バンド名は、「ジェシー・ジェイムス」に変わります。更に、1973年に「ツイン」に変わります。ツイン時のメンバーは、篠崎淳、若生吉隆、戸塚憲吉、都築伸彦です。同年に、ツインは、「末法」と「40日と40夜」に分裂します。「末法」のメンバーは、篠崎淳(ベース)、青柳孝(ボーカル、ハーモニカ)、ジョー(ギター、ボーカル)、徳永三知郎(ギター)、都築伸彦(ドラムス)です。篠崎淳は、1974年にSKY(元・ゲッセマネ)に加入します。他のメンバーは、斎藤よしかず(ボーカル、フルート、サックス)、森田(ギター)、古田たかし(ドラムス)です。「40日と40夜」のメンバーは、若生吉隆(ギター)、戸塚憲吉(ギター)です。若生は、同年に「異邦人」に、その後、「ボビー&リトル・マギー」に加入します。
9 乱魔堂
- 洪栄龍(ギター)
- 松吉久雄(ボーカル)
- 猿山幸夫(ベース)
- 矢島敏郎(ドラムス)
- 告井延隆(ギター)
- 上村律夫(キーボード)
- 山崎隆史(ギター)
DEWを脱退した洪栄龍は、1971年2月に、松吉久雄(元ブラインド・レモン・ジェファーソン)、猿山幸夫(元ブラインド・レモン・ジェファーソン)、矢島敏郎とともに「乱魔堂」を結成します。「乱魔」とは、メンバーやバンドを聴きに集まる聴衆の感情や想像力や肉体などの可能性の状態を示す言葉で、「乱魔堂」というバンド名は、そういう人たち(乱魔童)が集えるほこら(乱魔洞)という意味も込められています。1971年3月は岐阜、5~6月は京都のキャッツ・アイという店で演奏しました。乱魔堂のレパートリーの多くは、この京都生活の間に作られました。上村律夫がマネージャーになります。彼が、はっぴいえんどのマネージャー石浦信三の音楽事務所「風都市」に加わったことから、乱魔堂もその所属になりました。風都市がマネージメントしていた渋谷のロック喫茶「BYG」地下1階のライブスペースに1971年7月頃から出演するようになります。乱魔堂の強化メンバーとして、告井延隆と上村律夫が参加します。1972年8月1日にアルバム「乱魔堂」を発表します。6月に山崎隆史(元ブルース・クリエイション、頭脳警察)が加わり5人編成となります。同年末で解散し、バンドは「雪童子」と「フライ」に分裂します。告井延隆は、名古屋に帰り、1973年に「センチメンタル・シティ・ロマンス」を結成します。
乱魔堂
1972年8月1日
POLYDOR
1 ちぇ!
2 ひたすら
3 出発
4 恋の赤電話
5 風がぴゅー・ぴゅー
6 写生
7 可笑しな世界
8 一握りのブルース
9 何の為に
1971 SUMMER
1989年11月25日
URC(KITTY)
1 馬鹿な男
2 百面相
3 二人のブルーズ
4 一握りのブルーズ
5 何の為に
6 一日中
7 前へ上へ
8 クロスワード
9 可笑しな世界
10 クツは白い
10 雪童子
- 洪栄龍(ギター)
- 山崎隆史(ギター)
- 水口光利(ベース)
- 倉橋和雄(ピアノ)
- たけし(ドラムス)
乱魔堂の解散後、1973年に洪栄龍と山崎隆史は、水口光利、倉橋和雄、たけし(尾口タケシ?)と「雪童子」を結成しますが、音楽性の相違により短命に終わります。
11 スラッピー・ジョー~洪栄龍とピーヴィー~洪栄龍とグローリー・バンド
- 洪栄龍(ギター)
- 水口光利(ベース)
- 倉橋和雄(ピアノ)
- 鈴木茂行(ドラムス)
- 小林幸彦(キーボード)
- 横山久樹(ベース)
- 横山秀志(ギター)
- 金子紀明(ドラムス、パーカッション)
1973年5月に、元・雪童子の洪栄龍、水口光利、倉橋和雄に鈴木茂行を加え結成されました。中山ラビのバッキングを担当します。その後、倉橋に代わって小林幸彦が加入しました。洪栄龍は、1975年に、スラッピー・ジョーと並行してソロアルバム「目ざまし時計」を発表します。演奏には、スラッピー・ジョーが参加しています。その後、スラッピー・ジョーは「洪栄龍とピーヴィー」に発展します。メンバーは、洪栄龍、鈴木茂行、小林幸彦の旧メンバーに、横山久樹、横山秀志が加わっています。更に「洪栄龍とグローリー・バンド」に発展します。洪栄龍、鈴木茂行、小林幸彦、横山久樹、横山秀志に金子紀明が加わります。ダブルドラムのバンドです。
目ざまし時計
1975年9月21日
POLYDOR
1 HOT MIGHTY CHICKEN
2 アマノジャク
3 目ざまし時計
4 ブルーズ
5 カントリー・ボーイ
6 恋のシーソー・ゲーム
7 泣き虫空
8 ノック・オン・マイ・ドア
9 夜汽車のブルース
10 夜明け
12 フライ
- 松吉久雄(ボーカル)
- 猿山幸夫(ベース)
- 矢島敏郎(ドラムス)
- 大野久雄(ギター)
- 滝島幹夫(ギター)
乱魔堂の解散後、1973年に、松吉久雄、猿山幸夫、矢島敏郎は、大野久雄(元・DEW)、滝島幹夫と「フライ」を結成します。その後、滝島は脱退します。ライブでは、告井延隆(元DEW、乱魔堂強化メンバー)がサポートすることもありました。猿山は、ジョニー大倉が一時脱退した「キャロル」に「サニー」という名で、フライを休み1974年1月の1か月だけ参加しました。大野は、荒井由美のバックバンド「ダディ・オー」、「コズミック・ララバイ」に参加します。
13 パフ
- 野地義行(ベース)
- 吉田美奈子(ピアノ)
ブルース・クリエイションを脱退した野地義行と吉田美奈子の2人が結成したベース&ピアノの珍しい編成のグループです。1970~1971年に活動しました。解散後、野地ははっぴいえんどのサポートを経て、霧工場に加入し、吉田はソロとして活躍します。
14 霧工場
- 高橋敬介(ギター、ピアノ)
- 渡辺康一(ギター、バンジョー、ピアノ)
- 野地義行(ベース、ピアノ)
- 松本恒夫(ギター)
1972年3月に、高橋敬介と渡辺康一により結成されました。続いて、野地義行、松本恒夫が加入します。最終的にはドラムスを入れ、5人組とする予定でした。野地とは、布谷文夫のレコーディング時にビクターのスタジオで会ったのが最初です。1972年10月25日に、テイチク・ユニオン・レーベルより「日向の匂いのする街」というシングルを出しています。その後、松本恒夫は、ハルヲフォンに加入します。
15 センチメンタル・シティ・ロマンス
- 告井延隆(ギター)
- 中野督夫(ギター、ボーカル)
- 細井豊(ピアノ)
- 加藤文敏(ベース)
- 田中毅(ドラムス)
- 今瀬満(ドラムス)
- 野口明彦(ドラムス)
- 久田清(ベース)
告井延隆が名古屋に帰り、1973年に結成したバンドです。音楽性は、はっぴいえんどの影響が大きいです。結成時のメンバーは、告井延隆、中野督夫、細井豊、加藤文敏、田中毅です。ドラムスが、1975年に今瀬満に、1976年に野口明彦(元シュガーベイブ)に、ベースが1976年に久田清に交代します。